~掃除道に生きる~田中義人ブログ

  • 「せめて自分だけでも行うこと」が、人生をつくる

    2008年02月01日

    今年の1月で、61歳となりました。これまでの人生を振り返ってみると、私の人生は、高校2年生の秋から、大逆転の人生を歩むことになりました。それまでは、気弱で勉強も運動も出来ず、そのうえ度近眼で、いじめられてばかりいました。ですから、それまでの学校の思い出は何にもありません。

    では、その秋に何があったかと言いますと、商業高校の2年後半ともなりますと、大半の生徒は授業にあまり身が入りません。その上、篠原先生の授業は、経済原論という固いものであり、まして老齢な先生ですから、みんな勝手なおしゃべりをしていて授業になりませんでした。その様な中、篠原先生が一生懸命に話してみえる姿を見ていて、せめて私だけでもしっかり聞こうと姿勢を正しました。それ以降、周りがどのように騒いでいようと、私は篠原先生を直視して授業を受けました。

    ある日のこと、篠原先生から、大学へ進学することをすすめられました。しかしながら、私の実力では、どこの大学へも進学することはできないことは分かっていたのですが、篠原先生を中心に仲間の先生方が一緒になって、内申書の内容を最高点にしてくださいました。お陰様で、日本大学へ推薦入学することが出来、おまけに入学式では、最優秀の生徒代表として祝辞を読むことにもなりました。本当に嘘のような話です。

    実は、この経験が、その後の人生をよくしていく基点となったような気がしております。私たちは、他を批判したり、比較したり、評論することは得意ですが、それでは何も進歩がありません。まして、何も実行しないとなるとなおさらです。「せめて自分だけでも、相手の喜ぶこと、相手に役立つことを行うこと」が大切であり、そのことが結果、多くの人たちが引き立ててくれることにもなりました。

    佐古利南先生の本に「夢のない人は目の前の人を喜ばせなさい。人を喜ばせて、頼まれごとを引き受けて、これを繰り返していくうちに、お前しか駄目だという役割にたどりつく。今の積み重ねが人生を創るのだよ。」との言葉がありましたが、正にその通りだと思う昨今です。

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