~掃除道に生きる~田中義人ブログ

  • 掃除が担保となった話

    2023年11月08日

    先日、早朝掃除で、会社入口のガードを磨いていたところ、すぐ横の丘を通り過ぎる中津川行の電車を見上げながら、ふっと28年程前のことを思い出しました。

    当時、バブル崩壊で、東海神栄電子工業の主要客先の家電製品の大半が中国に移管されていくこととなり、経営の危機を迎えていました。その時、1991年11月23日に、イエローハットの鍵山秀三郎社長(当時)との運命的な出逢いがありました。

    鍵山社長の「30年間、毎日、掃除を続けてきたことで、会社も人生も大きく変わっていきました」との一言で、私は翌朝から、近所の市神神社の掃除を始めました。そして、鍵山社長の言葉の通り、神社が日々よくなっていく様子を見て、会社に掃除を導入しました。お蔭で、会社も体質改善が進み、危機を乗り切ることができ、今日を迎えております。

    この鍵山社長との出逢いから、掃除の素晴らしさに目覚め、全社員一丸となって掃除に取り組んできましたが、私たちが掃除に取り組んでいる姿を見ていたのが、当時の東海銀行中津川支店の廣瀬支店長でした。廣瀬支店長は、名古屋から中津川に電車で通勤されており、毎朝、恵那駅を通過したすぐ後の車窓から、東海神栄の社員が道路掃除をしている姿を見ていたそうです。

    そのころ、東海神栄は、仕事内容を大幅に転換(家電製品用プリント配線基板から産業用基板へ)する必要に迫られていました。その転換のための新規設備投資として3億円が必要となりました。1億円の目途は立てられましたが、あと2億円の目途が立たず困っていたところ、廣瀬支店長から「本部に掛け合って3億円の特別融資の話をつけたから、安心して設備投資をしてください」と言われました。

    その時、なぜ担保もなく、売上が落ちていくような会社にそれだけの融資をしてくれるのですか、と聞きましたところ、「田中さん、銀行は、経営者の姿勢を見ているのですよ。あなたたちが毎日取り組んでいる掃除は、必ず会社をよくしていくものです。そのことを本部が認めてくれたのです。」と言われた時は、涙が出るほどうれしくなりました。

    そして、掃除が担保になったなんて社員は信じないだろうと思い、廣瀬支店長に「掃除が担保になった話を紙に書いてほしい」と頼んだところ、気持ちよく書いてくださいました。早速に額縁に入れて応接室に飾った覚えがあります。

    掃除が担保になったことを思い出しながら、ガードレールを磨き、感無量になり、今月のメッセージとしました。

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