~掃除道に生きる~田中義人ブログ

  • 「念ずれば花ひらく」確固たる信念が道を開いていく

    2025年09月06日

    念ずれば花ひらく

    先日、青年経営者研修塾(青経塾)の方達が来社され、会社を成長させてきた原動力とは、と問われた時、このように答えました。

    経営者として一番大切にしてきたことは「確固たる信念を持つ事」で、逆境が成長へのエネルギーとなって不可能と思えたことも可能にしていく力となるので、その為にもトップは「常に目標を持ち、挑戦する熱意」が大切です。

    東海神栄電子工業は、1969年、神栄工業の完全下請けとして7名の社員で始まりました。その5年後、第二次オイルショックに遭遇し、仕事量が80%減と危機的状況に陥りました。当時、社員は30名。親会社の神栄工業に出向き、危機打開のために相談したものの「ないものはない。人を整理をしてくれ。」との言葉に唖然とし、下請けの悲哀を噛みしめて帰宅しました。

    このことで、「下請けのままでは、いずれ捨てられる。親会社から独立するしかない。」と強い決意を持ちました。しかしながら、親会社の工場認定を使っていた関係で、他社の認定品の仕事は一切受注出来ない縛りがあり、親会社の管理下に置かれていました。その為、独立するには親会社の仕事を全て返却するしか手はなく、独立は不可能に近い状態でした。

    しかし独立への思いは強く、必ずチャンスは訪れるとの思いで、まずは体質づくりから始めました。身軽になるために設備投資と経費を抑え、ケチケチ経営に徹してお金を貯め、可能な限り最小規模で経営する。その一方で、同業者との交流と続けるとともに、資材調達先の人達とも親交を深めていきました。

    確固たる目標を抱き5年の歳月が過ぎた頃、突然、資材購入先の営業マンから、朗報が飛び込んできました。ある大手プリント配線板メーカーが、社内生産を高級産業用基板に全面的に移行することとなり、それまで社内で行っていた一般民生基板を外注に出したい、との情報でした。結果、その会社から一般民生基板を全て受入れることを決め、親会社の神栄工業と決別することとなりました。そして、社内に営業部を立ち上げ、独立した会社となりました。

    親会社だった神栄工業は、その後、大手企業買収されましたが、採算が取れず廃業に追い込まれました。もし、あのまま神栄工業の下請けを続けていたら、今日の東海神栄電子工業はありません。正に、逆境に遭ったがゆえに道が開けていったのです。

    逆境に遭ったとしても、強い信念を持って挑戦するトップの熱意が社員を動かし、会社を成長させていく原動力だと、改めて思いました。

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