私は中津商業高校の卒業生でしたので、若い頃はそろばんと暗算が得意でした。そのおかげで、会社経営を始めてからも、決算書の数字から会社の状態を読み取ることができました。また、買い物をするときも、代金やお釣りの計算を瞬時にすることができました。
ところが、電卓を使うようになってから、いつの間にか電卓に頼るようになり、今では昔ほど暗算ができなくなってしまいました。
同じことが、カーナビについても言えます。以前は、知らない所へ出かける時には地図帳を広げ、どの道を通ってどこに行けばいいのか計画を立てたものです。ところが今では、目的地を入力すれば、カーナビがすべて道案内をしてくれます。そのため、自分で道順を考えることも少なくなり、目的地に至るまでのプロセスが頭の中から消えてしまいました。
もし、突然、電卓やカーナビが使えなくなったりしたら、どうなるでしょうか。便利なものに頼り過ぎた結果、それがなければ生活できない状態となっています。
そして今、生成AIの時代が始まりました。
これまで人間にしかできないと思われていた知的な分野にまで、生成AIが急速に入ってきています。仕事上の問題から日常生活の悩み事まで、生成AIに相談すれば、かなり納得感の高い回答を返してくれるようになりました。特に文章作成や文書資料の整理なども、瞬時に行ってくれます。
生成AIは大変便利な道具として身近なものになってきました。しかし、使い方を間違えれば、「自分で調べる」「自分で考える」「自分で判断する」という、人間にとって大切な力まで失ってしまうのではないかと心配しています。
日本では、江戸時代から、寺子屋での「読み・書き・そろばん」が庶民の生活に根づいていました。寺子屋は、単に文字や計算を覚えるだけではなく、日々の暮らしや仕事に必要な知恵を身につけ、規律ある生活習慣や人としての心を養う教育の場でもありました。そうした歴史の積み重ねが、今日の日本人の勤勉さや他人を思いやる道徳心などにもつながってきたのではないかと思っています。
よく海外から日本に来られた人たちから、日本人のマナーの良さや、街の美しさなどを評価していただくことがあります。その背景には、これらの長い歴史の中で培われてきた日本人の生活文化があるのだと思います。
ところが、「そろばん」が電卓に代わり、計算する能力が落ちてしまいました。そして今度は、「読み・書き・考えること」まで生成AIに任せるようになったら、どうなるでしょうか。
困難や問題にぶつかった時、自分で考え、自分で判断し、自分の力で乗り越えていく自己判断能力を失った人たちは、どうなっていくのでしょうか。自分の思うようにいかなくなった時、すぐにキレたり、落ち込んだりしてしまうのではないでしょうか。
今からでも遅くないので、「読書の大切さ」を知ってもらいたいと思います。
私はこの三十年間、社員の皆さんに本を読んでもらい、感想文を提出してもらう活動を続けてきました。
本を読むということは、単に知識を得ることだけではありません。著者の考え方に触れながら、「自分ならどうするだろう」「自分の生き方はこれでよいのだろうか」と、自分自身と対話することができ、感想文を書くことによって、感じたことを自分の言葉にすることができます。さらに、感想文を発表することで、気づきを職場の仲間と共有することができます。そのおかげで、お互いを大切にし合える社風に変わってきたと思います。
今後、生成AIは、ますます便利になって社会に普及していきます。私もAIを否定するのではなく、生成AIのお陰で、膨大な情報・知識が得られるようになっていますが、それはあくまでも知識レベルです。問題は、その情報・知識をどう生かしていくのかであり、それは人間の行動が伴ってこそ身についていくものと思います。
自分の頭で考え、自分で判断する力だけは、どれだけ便利な時代になっても失ってはならないと思います。
その意味からも、当社が三十年間続けてきた「読書と感想文活動」は、「掃除活動」と合わせて、これからのAI時代に、益々大切な活動だと思っております。
これからも、大切な企業文化として続けていってもらいたいと願っています。



